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ロシア・最後の日

いままでずっと書けなかったロシア最後の日を、ようやく書こうと思う。


ながらくかけなかったのは、書いてもおもしろおかしくかけない自信があったからです。あまりにも濃く、つらく、くるしく、幸せな一日を、わたしはどうやったらかいつまんでおもしろおかしく人に聞かせることができるでしょう。

結末からお話すれば、私はその最後の一日のために、帰路パリへ向かうわずか4時間の飛行機の中で急性胃潰瘍になり、ド・ゴール空港につくやいなや、車椅子で運ばれたのです。

しかし、結末として劇的に胃炎になったものの、劇的な原因はありませんでした。
体の末端からじわじわとやってきたものが、飛行機のなかでからだの中心に到達し、胃がいっせいにおかしくなったのかもしれません。


だから、劇としては非常に退屈で、どの出来事がどの感情を生み出したのか、論理立てて解釈するのもこっけいな一日を、わざわざ書く意味もない。


と思っていたのですが、留学日記に最初の日があって最後の日がないと、

これからロシア語学科に入学なさる方とか、

留学されるかたとか、私の友人とか、腑に落ちないと思い、書く。










1月28日 


朝からズースカと待ち合わせてテストセンターに向かい、テストを受けにいく。実はこんなただのテストひとつに壮大なるプレッシャーを感じており、前々日には「ロシア語なんかむずかしくてわかんないもん!!!!!留学なんかやだ!!!!」と、留学生活もあと3日しか残っていないというタイミングでうまれて初めて本気で口にし、中学受験を無理にさせられている10歳児のようにおお泣きした。今まで「つらい」という言葉をあまりに口にしなかったせいか、ロシア人の友達は「えっ、ナオカにつらいときなんてあったの?」という驚きようだった。ナオカだってガイジンですわい。苦労だってしますわ。
しかし口にしてしまえば楽なこともあるもので、「そうか、そんなに苦しいロシア留学というものを、自分はよくここまで面白おかしくすごしてきたもんだなぁ。」と急に自分がえらくがんばったような気がした。つらいことを口に出すメリットをというのを初めて理解した気がする。

そんなわけでテスト当日は、最後の学術的イベントのような気持ちで楽しく参加することにした。その日は稀な快晴であり、私はシヴィリードフの「トロイカ」を鼻歌で(歌詞がないため)うたい歩き、ズースカは「なんか、ナオカがご機嫌でわたしまでうれしくなっちゃうんだけどv」と始終笑いながらテストを受けていた。テスト監督の50過ぎの女性はそんな私たちに「まったくあなたたちはいつもそろってご機嫌なこと!」と言いながら、はたから見ればまったくの無表情でテスト用紙をくばった。私は、その彼女のつやのない口紅のきつくしばった唇が、濃く化粧した堀の深い冷たい緑の目が、おかしくてしかたがないという表情であると思った。ズースカは完全な笑顔で「もちろん!」といった。つらそうだなと思った。結局わたしもズースカも、泣かないでいるのがつらかった。どうしてこんな日に快晴なんだろうと思った。




試験が終わって、帰宅してすぐに、怒鳴り癖のある18階の寮母さんのところに向かった。天井まである両開きの木戸は閉ざされていて、すこしはなれて男の子が退屈そうに教科書を読んでいた。

「いないの?」

「どっかいったらしい。10分後にはもどってくると思うね。」

「ふうん」

いったん部屋に戻り、「1355室在住の日本人ナオカは翌日早朝帰国するので手続きについて本日うかがいたいと思います。戻られましたらこの番号にご連絡ください」とメモ書きし、今度は荷物の運び出し許可証(大きなトランクやダンボールを運び出す際は、寮の許可が必要)をだしてくれる部屋へむかった。

「翌朝は早いので、今日あとで荷物をお持ちしますから、いま許可証をいただけますか」

「ああ、いいよ。もっておいで。」 

非常に目が悪いとみえる80過ぎのおばあちゃん寮母は、何も聞き返さずに納得してくれた。何かにつけて要望を難しくし、もったいぶりたがるひとというのはロシアに限らずいるものだ。今日は当たりだと思った。


18回に戻ると、木戸のまえにさっきとおなじ格好で青年がたっていた。

「あら、まだこないの?」

「こない。」


今日は運がいいと思った顔を、青年にみられてしまったかもしれない。メモ書きをドアに貼り付け、トランクをとりに部屋に戻り、おばあちゃん寮母に運び出し証明書をもらった。「Yaoko」と書いてあった。やっぱり目が悪かった、と納得した。


部屋に戻って、自分のお別れ会の準備に米をたきはじめた。
授業の終わったリョーシャが部屋に来て、すべての調理器具と材料をはこびだした。

「ズーはどうした」

「学部室。帰国の手続きがまだ終わってないんだって。パーティーもあとからくるよ。」

寮内をはじからはじまで移動するのに10分はかかるモスクワ大学寮の中で自分のお別れ会をおこなうのに、あえてちょうど反対側に位置するリョーシャの部屋を選んだのは、2部屋4人用なのに2人(リョーシャとリョーシャ)しかすんでいないからだ。

しかし不幸なことに、リョーシャの部屋に荷物を運び終わったときに電話が鳴った。

「ナオカ!!私戻ってきたわよ。まってるからすぐいらっしゃい。じゃなきゃわたし帰るわ!」

18階の寮母さんだった。
まさか帰るまいとは思えども、おとなしく自分の塔にもどり、退去手続きをおこなった。

「枕カバー、シーツ、クッションはそのままに。おいてある家電なんかはすべて運び出しておいてね。カーテン・毛布なんかはちゃんとある?ライトは?」

「玄関の電気がつかないのと、水道の蛇口がしまりません。そこ以外は、すべて大丈夫です。」

「それならすべて大丈夫ね。さ、おわりよ!明日のあさ確認しに行くから、片付けといてね!」


いぶからなくなったなと思った。私が寮の手続きでもめたときは、叫ぶし怒鳴るし大変だったけれども、むこうもむこうでよくわからないガイジンが寮費を踏み倒すかもしれないとか寮の備品を持ち出すかもしれないとか、心配だったんだろう。 怒鳴り癖のある寮母さんをまったくスキになったことはなかったし、今日もなにかけちをつけられたり非難されたりすると思ってここにきたけれども、「このひとにも迷惑をかけたなぁ」と感じる今日は、寮母さんがやさしいのか、私が穏やかになったのか。


すべての手続きを終えてリョーシャの部屋にもどったときは、もう5時前だった。日はとっくに沈んでいた。

あれよあれよとゲストが増えていき、あれよあれよと私の手作りまき寿司がなくなり、いつのまにか部屋からテーブルが消え、ダンスフロアと化した。はじめは、すこし奇妙なパーティーだなぁと思った。何を祝っているわけでもなく、私がみんなにお礼をしたくて、またお互いの出会いの場をつくりたくて開いたパーティーだからゲストも楽しんでいいのか悲しんでいいのか、すこし戸惑っているようだった。

「ナオカの成功のために!幸せのために!再会のために!」

そういって乾杯を重ねるも、みんないつものようには飲んでいない。ワインを5リットルも用意したのに、全くといっていいほど、お酒が減らないパーティーだった。リョーシャとローマにいたっては、ただの一滴も飲まなかった。

「Naosh」

寡黙なリョーシャが袋をもってきて

「あげる。」といった。


包みの中身は、ロシア軍に限定支給されている”ロシア軍公式”タバコ、「ペレクール」一箱だった。入手するには軍に在籍した人に持って帰ってもらうよう頼むしかないという、貴重なのか貴重でもないのか微妙だが、私にはのどから手が出るほどほしかった品である。

「ペーレークーーーーーーール!!!!!!!」

私の悲鳴をきいたみんながとりかこみ、何人かは「おい、リョーハ、あげちゃっていいのかよ」といった。もうひとりのリョーシャは「おい、やったぜナオカ、これでお前もチンピラへの第一歩だ!」といった。ロシア人からの「ロシア軍観」が如実に現れている一言かもしれない。

「ナオカのチンピラへの一歩を祝して!!」

みんなで大笑いしながら、せっかくなら試してみようということになった。言い換えれば、ロシア式チンピラ講座がおこなわれた。大騒ぎしながら20人ほどで寮のはじっこにある非常階段の踊り場にむかった。本物のチンピラ顔の警備員が不思議そうに、通り過ぎる私たちを見ていた。踊り場では、みんなが見守る中で私、リョーシャ、スタス、ドロン、ズースカで輪になっていわゆる「べんじょ座り」をし、あえて親指と人差し指でタバコをはさみ、歯にタバコをくわえてすこぶるまずそうに吸い、次の人に回した。

「カタギはさがってな。ちかよると怪我するぜ。」

以前お笑い番組で覚えたチンピラの決まり文句を口に出してみた。こんなくだらないフレーズのために脳みその要領の一部を使っている自分が嫌いではないのが困る。ちなみにロシア語では「Шел бы ты, отец, от суда. Щас такой замес начинётся.」という。

もうフィルターしかないんじゃないかと思うくらい小さくなったところでドロンがいった。

「よし、ナオカ、ここであの隅にある缶にむかって投げて、はずして、そして言うんだ」

全員が固唾をのんだ。私は言った。

「ブリャァ・・・(f*ck)」

大爆笑の渦だった。みんなおかしかった。そんなレクチャーをしておもしろがるみんなもおかしかったし、それを忠実に実行するわたしもおかしかったし、それをわざわざみているみんなもおかしかった。



11時には解散するつもりだったのに、12時をすぎていた。

「みんな、今日はありがとう。明日早いから、そろそろ寝なきゃ。」


玄関口にたって挨拶する私のところに、スタスがきて言った。
「ナオカ、ほんと、仲良くなれてよかったよ。ナオカまじ面白いし、ほんと・・・。」
ところでスタスは岩手にいる私の叔父に若干似ている。21歳だが、似ているのである。そんな風格をもったスタスが、言葉に詰まりながら21歳らしさをみせていた。

「そんな、こちらこそ!結婚式呼んでくれてすごくうれしかったよ。スタスはみんなよりもよくいろんなことわかってるし、これからもみんなのこと、よろしくね・・・」

「なに言ってんだよ、ナオカだってすぐもどってくるだろうが・・・すぐ・・・泣くなよナオカ。」

「やめろやナオカ、こいつ泣いちゃうだろ、なぁスタス、ほらみてみろよこいつの顔ってば」
ジモンがスタスのかたに手を回してからかった。

「さーて、ナオカも帰るし、俺も帰るぞ。」といってローマが私とおなじく玄関口にたった。「じゃあなみんな、またな!!!」

「ローマアアアア!!!行かないでくれー!!どこにも行かないでくれええ!!!!!」

リョーシャが、マラトが、みんなが玄関口に団子になって口々に叫ぶ。「行くな!いかないでー!!」「さよならみんなー!」「ちょっとー出入り口ふさがないでよ!」「あれナオカどこいった」「ローマ!おまえはロシアにのこるんだ!!」バカ騒ぎの塊が、玄関口でぎゅうぎゅうになっていた。

「ったくお前ら」スタスが笑いながらいった。

「まったくもう」私が大笑いしながらいった。おかしくてしょうがなかった。おかしくておかしくて、涙がでてとまらなかった。1年後も10年後もきっとこのひとたちはこのままだ。今年の夏には卒業してみんなばらばらになっちゃうけど、それでもずっとこのままだ。

「元気でね」

彼らのバカ騒ぎは、そういわれるより私を元気にした。戻ってこれる。また会える。「さようなら」なんていわなかった。幸せな別れ方だった。



バカ騒ぎがやまないうちに、エレベーターにのった。いっしょにリョーシャがのっていた。

「・・・」

「送る。」

「ハラショー。」




いつもどおり部屋のドアをあけるといつもどおりでない部屋が待っていた。

「おいおい、空っぽだな」とリョーシャは苦々しい声で言った。「他人の部屋みたいだ。」

テーブルにただひとつのっていたパソコンから最後のメールチェックをした。帰る先には何が待っているのか、考えること自体に緊張した。いままでと同じようには生活しないだろうという予想はついた。


電源を切る前に、最後に聞きたいと思った曲をかけた。



ショスタコーヴィッチ 「Ovod」より 「Introduction」




窓からは図書館の明かりがみえた。ロシアの街灯は赤い。


「何みてんだ」とリョーシャが尋ねた。

「何も。」

「・・・」

「ううん。この一年をみてる。ロシアでの一年。どうやってすごしてきたか。」




わたしはなぜこの曲がIntroductionなのかずっと不思議だった。初めて聞いたときはむしろendingだと感じるような短調から始まる。壮大なメロディに哀愁がただいつつ、全体にしっとりと歌いあがっている。


楽しいことばっかりじゃなかった。


つらいことも多かった。


むしろ全体的にはつらかった気さえする。



そのうえでひとつひとつの喜びや、楽しさや、葛藤や、泥臭さや、惨めさや、閉塞感や、希望や、幸せは、かつてないほどの激さで


日本からも、ロシアからも、まわりのひとにささえられながら


私は一生分怒ったり笑ったり悩んだり戦ったりした。



それがわたしの300日だった。




「留学」なんて履歴書の上に書いてしまえばそれはそれなりに美しく光るもので


そんなエリートオーラは留学の本質なんてちっともあらわしちゃいない


と思う。すくなくとも私の留学は。



もっと泥臭くて、汗臭くて、人間くさい。




私にとってのモスクワは、そしてこの曲は、


非常にひとのにおいのする、やさしい存在である。










1月29日  早朝


ズースカとリョーシャに手伝ってもらって荷物を運び出し、最後の片づけをおこなう。去年の3月28日に出発したときに来ていた黒のワンピースをおいていこうとしたら、ズーは「わたしがもらう」といってGパンのベルトにひっかけたため、しっぽのようになっていた。ズーはかわりに私にタイガーアイのピアスをくれた。「いい気分のときにつけるの。」大好きなズーの象徴ともいえるピアスを、すぐさまつけた。ズーになれる気がした。なりたいとおもった。

寮母さんは部屋にまったくけちをつけることなく、確認作業を終えた。

「あなた、あのバラの花はいいの?」

ワイン瓶にいけてある3本のバラの花をゆびさして寮母さんは言った。

「もって帰れないんです。もってかえれないなら、いつものように窓枠においておきたいんです。」


タクシー運転手は若干不機嫌だった。「おくれるぜお嬢さん。」せわしなく荷物をつめこんだ。のどがひどく渇いていたけど、あいにく飲み物がなかった。リョーシャはまったく口をきかなかった。

「じゃあ、またね、ナオカ。」

ズーがいった。彼女も今日の昼鉄道でプラハに帰る。

「うん。またね。ありがとう」

彼女とはどこかで再会できる気がした。彼女を一生わすれない自信があった。それだけ私は彼女のことが大好きだった。

「俺は空港まで行く。」

リョーシャがいった。もとは一人でいくつもりだったが、断ろうとも思わなかった。二人で車に乗り込み、タクシーはあっという間に出発した。まだ日の昇らない朝7時に、大学塔はこうこうと輝いていた。「またくるよ。」絶対にここに戻ってくると感じた。








ついてきてもらったにもかかわらず、タクシーで、空港で、リョーシャと何の話をしたかは見事になにも覚えていない。重量オーバーで入りきらなかった荷物をいくつかもって帰ってもらった。しかし覚えているのはたった二言だけである。







税関の門をくぐるときに言った「君がでていくなんて信じない。」







そして飛行機の中で受け取ったSMS







「さようなら、ナオシャ(;_;)」









すぐにスチュワーデスが、私に大量のティッシュペーパーとビニール袋、水を持ってきた。




これが私の300日目だった。
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コメント
この記事へのコメント
すごく心に残った記事だった。

心打たれた。
2008/03/21 (金) 01:00:08 | URL | きゃめ #-[ 編集]
良い話し過ぎる。それしかいえない私の言葉が陳腐だけど

泣けた。きゅーちゃんの留学は素晴らしい人に囲まれた最高の時間だったのだね。
2008/03/21 (金) 12:01:52 | URL | あっち #EHxC5Zgo[ 編集]
やっぱり私もせんぱいみたいな素敵な留学がしたいと思いました。

またゆっくりお話聞かせてくださいね。
2008/03/21 (金) 13:33:19 | URL | ゆっけ #4R.DZ/V6[ 編集]
すごくナオカの留学が伝わってきた日記だった。
留学ってひとことではあらわせないよね。
共感して泣きました。
2008/03/22 (土) 17:17:44 | URL | kana #-[ 編集]
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